YMO 東風 (TONG POO)

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1980年代初頭に巻き起こったテクノ/ニューウェーブのムーブメントの中心にいたグループの一つであり、シンセサイザーとコンピュータを駆使した斬新な音楽で、1978年に結成されてから1983年に「散開」(解散)するまでの5年間で日本を席巻した。1993年には一時「再生」(再結成)している。
当時、シンセサイザーやコンピュータを駆使した音楽は既にドイツのクラフトワークが有名であったが、それらの技術を用いた音楽はまだ珍しい時代であった。そんな中で現れたYMOの音楽は大衆に受け入れられ、日本での商業的成功は言うまでもなく、英米でも少なからぬ音楽的影響力を残した。例えば『BGM』収録の「U.T.」はトランス・テクノ、「ライオット・イン・ラゴス」(厳密には坂本のソロ『B2ユニット』の曲だが'80年のYMOライブでは好んで演奏された)はヒップホップの始祖と後に評された。
YMOはそのファッションも特徴的であった。初期のアルバムジャケットやライヴで見られる赤い衣装(デザインは高橋幸宏)は、昔のスキー服をイメージしたものであったが、その容貌が中国の人民服と似ていたため一般的には「赤い人民服」と呼ばれるようになった(メンバーが人民帽を着用していたのも一因かと思われる)。また、すっきりとした短髪、かつもみあげの部分を剃り落とす彼らの髪型(特に、初期では刈りあげ+もみあげ無し)は「テクノカット」と呼ばれ、当時の若者の間で流行した。「赤い人民服」と「テクノカット」は彼らのトレードマークであった。
「世界に通用する(した)ジャパニーズ・バンド」と位置づけられることが多いが、当のメンバー達はむしろ「世界に出かかってやめちゃったバンド」と考えているらしい。('93年の「再生」時の高橋幸宏の発言より) 興味深いことに、人気バンド・ゴダイゴのミッキー吉野もまた「YMOの欧米進出と言っても実態は日本国内向けのパブリシティ狙い。海外でのレコード売上ならうちのほうが上」と後に発言している。
1990年代以降の日本の音楽シーンで活躍するミュージシャンの中で、YMOの音楽に影響を受けたと自称するミュージシャン達は「YMOチルドレン」と呼ばれることがある。代表的アーティストは槇原敬之、宮沢和史 (THE BOOM)、高野寛、テイトウワ、電気グルーヴなど。
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2008/09/30(火) 00:06 | URL | #-[ 編集]
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